OpenOffice.org活動を始めたきっかけ

-OpenOffice.org

OpenOffice.org活動を始めたきっかけを書きます。そもそもの始まりはFreeBSDでした。

私は1995年以来、 FreeBSDというOSの熱心なファンで、現在portsコミッターというのをしています。FreeBSDのパッケージを直接メンテナンスする要員の一人です。FreeBSDのパッケージは現在約2万をかかえており、私は55個くらいのportsをメンテナンスしています。さらに、現在6個あるOpenOffice.org関連の portsのデファクトメンテナーです。ここ1年のアクティビティは、世界で12位くらいです。中田がOpenOffice.orgのパッケージメンテナーと宣言していないのは、メンテナーのメールアドレスが、mailing list(openoffice@freebsd.org)にアサインされているので、そちらに投稿してほしいという気持ちがあります。

FreeBSDのコミッターになった理由は、元々専門である量子化学に関連して、数値計算のportsを拡充したいということでした。いくつかProblem Report(PR)を書いて、地道に活動してました。良くあることですが、PRを書いてもなかなかコミットされず、痺れを切らしてました。あるとき、コミッターになりたいとMLに投稿し、それが受け入れられました。2002/10のことです。 同時期にコミッターになったのは、後藤大地さんで、メンターは、武者晶紀(knu)さんでした。 お二方も有名な方たちです。武者さんは、Ruby方面のほうが今は有名だと思われます。当時、portmgrの一員で多忙でありながら、非常に熱心に私のメンターをしてくれました。 ブログによると、大変な美食家で、ときどきよだれをたらしながら見ています。将棋もやっておられ、何面指しとか、社会人で試合でたり、しておられます。武者さんと話すと大変頭脳明晰な方だという印象をうけますが、ここから来ているのだと勝手に思ってます。 後藤さんは、オングスという会社の社長で(!) 何もかも吸収が早く、できる人間とはこんなものかと、驚きました。 本も沢山出版して居られ、どれも彼らしく、剛毅木訥、という印象を受けます。後ほど後藤さんにはお会いしましたが、恰幅もよく、刀を脇にさして歩く武士のような、 風貌であります。
OpenOffice.orgへのコミットのきっかけは、2002年、夏頃のslashdot.orgの記事 Native OpenOffice for FreeBSDを見た、ことです。 当時、FreeBSDでOpenOffice.orgは動かないと言われていました。Linux版はLinux バイナリ互換機能を用いれば、FreeBSDで動きましたから、モチベーションは低かったのかもしれません。そんなバカな、動かないわけもない、とも思っていました。ただ、メーリングリストなどをみてもどうしていいのか、パッチなどを取り寄せてみたりしたのですが、パッチが当たらず、どこをどうなおせば、いいのか、あまりにも大きく、変化も大きく、途方にくれていました。 今思えば、開発プロセスがあまりよくなかったとか、私の無知、さまざまなことがあります。

この偉業はMartin Blappらによって達成されました。1.0.0を動かした、というのに、圧倒され、 手元で再現してみました。portsは、コミットされればすぐさま手元で再現できます。そして、やはり日本語機能が低いというのを何とかしたいと思いました。 Enhancement for OpenOffice.org: automatic L10N'ed Help installationを書きました。最後に、100個以上ある、パッチを減らしたいと思いました。
日本人は何かとダウンロードばかりして、コミットしないと世界中の悪評があったと思います。これもなんとかならんのか、と思っていました。 ここらへんが、私の活動の原点です。


まず一番簡単そうなパッチを減らすということから始めました。これは、移植だからパッチを受け付けてくれるだろう、ということ、それと、パッチを取り込むプロセスを理解したいということでした。プロジェクトを理解しないとプロジェクトには参加できません。[tag:FreeBSD][tag:OpenOffice.org]